事の始まりは2010年 正月。

「ヨシムラの当時物持っているのですが、同じの物を作ってもらえませんか」

「ボンネビル(GSX-R)のリバイバルはしないのですか」

年に数回はいただく問い合わせである。私はコピー屋でもないしリバイバル屋でもない。ましてや今でもヨシムラから一部の仕事をいただいている立場でそのような仕事が出来るわけがない。しかし鉄のショート管の問い合わせが未だにあるのも事実。

2010年 正月。あるジャーナリストとお会いした際、ヨシムラが8耐に初めて優勝した頃からの話題で盛り上がった。
78年と80年の優勝時。当時のヨシムラの様子をよくご存知の方だったのだが、私の発した一言が会話を変えた。

「あの頃はパイプ、手巻きでね」

当時のヨシムラのマフラーのパイプは板を丸めて作ったものとは知らなかったのである!知らないことに私も驚きました。

親父さんが亡くなって15年・・・。
ヨシムラ集合マフラーの創世期、AMAでその頭角を現し始めた頃の原点に立ち戻ってみることをと思い立ちました。

今でこそ一般的になりましたが、集合マフラーは、その性能とそれまでに無い音色でセンセーショナルにデビューしました。
AMAで大躍進し始めた頃のマフラーは、まだサイレンサーもなく、いわゆる直管。しかしそれはショート管と呼ばれる一連の製品よりも、テールパイプはずっと太く、長かった。

新しいマフラーの構想をヨシムラ社長の不二雄氏に相談、「シリーズ7か!(USヨシムラ)」と問われたが「今まで無かったような、当時を彷彿させるマフラーを作りたい」と答えた。

私がヨシムラで働き始めたのは82年5月、レース車両はGSからGSXに移行していたがスズキ本社の世界耐久用や富士で走っていたヨシムラのクラブ員等、まだまだGS1000現役だった。私が最初に手掛けたマフラーはGSX400E (2気筒)だがテーパーのテールパイプは当然としてもエキパイに使うパイプも1mmのボンテ合板(鉄)を切って丸めたパイプだった。
それはGS、刀(GSX)にも使われていた。

通称、手巻きパイプ。板から切り出し丸めて溶接、芯金を入れてハンマーで叩いて丸出しをする。砂詰め等の一連の作業はそれからであった。 ほんの一時のステンレスを経てチタンに移行したときはエキパイ用のパイプはチタンメーカーから入手できたがテールパイプ用のサイズは当時無く3本ローラーで丸める時点でガスバーナーで温度を上げながらでもしなければ丸まりもしなかった。
1本を丸めるために1時間以上も時間を費やすとても大変な工程であった。

溶接にしても今のような優れた溶接器は無く、スイッチを押しても電気が飛んだり、飛ばなかったりの有り様でした。そうしてまで作り上げた当時のマフラーへの情熱や過程を誰かが伝えなければ歴史から忘れ去られてしまう。それらの工程も含んで当時を彷彿とさせるマフラーを作ろうとテーマを原点回帰として製作にかかりました。

エキパイは外径42.7mm 肉厚1.0mmの特別オーダー製管品を入手し、手巻きパイプは市販品では存在しない肉厚1.0mmでテールパイプに再現することにしました。外径は76.3mm。

古いGSやZ1等はアフターマーケ ットの音量規制は99ホンで良いのですが、かなり煩い。94から96ホンを目標にしながらも、当時のセンセーショナルな感覚を呼び起こしたくもありと葛藤。それから半年以上の時間を費やしました。集合マフラーが存在しなかった頃に、出現した程のセンセーショナルさとまではいかないが、その時初めて集合マフラーを体験したライダー達が、《それまでには無かった感覚》を体験したように、これまでとは《別次元の感覚》を味わえる作が出来たと自負している。

そうそう、ガスバーナー、周りの方々の通称『オヤジさんのバーナー』。私が独立する時に親父さんからいただいたバーナーに繋ぎ直し、駆け出し当時の気持ちで曲げている。
これら一連の流れは見ては《原点回帰》乗っては《新感覚》である。

エキパイ

曲げのデザインはヨシムラがAMAで躍進し始めた初期の頃の、1#.4#がエンジン出口の曲がり始めから内側に曲がっていくタイプ。
この形は今では殆ど見ることが少なくなりました。外径42.7mm 肉厚1.0mm。通常販売されている薄物でも1.2mm厚。特別オーダー製の管品。

テールパイプ

外径76.3mm 肉厚1.0mm 手巻き。
この径の市販品は肉厚1.6mmで1.0mmのパイプは製造されていないので特別に板を切り丸めた。
それをベンダーで曲げています。ベンダーなら簡単に曲がると思われますが、ここまで太く薄肉のパイプは非常に曲げが難しい。そもそも外径70mmを越えた径のベンダーの型は極めて少ないので金型から制作しています。テールには手巻き・ベンダーパイプ500mm長を2本使いますが、曲げる前のバイプ2本と市販品肉厚1.6mm、長さ5.5m、1本と同じコストです。斜め切りのテールなら5台分は出来る計算となります。
口金は厚肉パイプから削り出し。重量増ではありますがしっかりと固定されることにウェイトを置きポート径とエキパイ径に大きな差がある場合、内部をテーパー加工出来る等、レーススペックのチタンマフラーを製作する手法をそのままに再現。
ホルダーもアルミ 17S (ジュラルミン)の削り出し。サイレンサーウールはステンレスウール+耐久性に優れたアドバンテックスを使用。パンチングはステンレスの0.5mm厚。
耐熱ブラックは(株) カドワキコーティングに依頼。
全面ショットをしてからの焼き付け塗装。鉄マフラーだからコストを安く作れるという考えからは程遠く一切の妥協を排除した渾身の作であります。

名付け親はあの往年のライダー。グレアム・クロスビー。

2010年のスズカ8耐の後、来日しているクロスビーがヨシムラに来るのを知って連絡をとってみました。奥さんと山中湖畔を旅行中の彼の携帯電話は所々音声が途切れたが、「Z1のマフラーが欲しいのだけど 何かあるかな?」と聞こえた。

「それならちょうど出来たばかり試作品があるよ。興味ある?」

と伝えると彼は予定を一日繰り上げ来てくれた。

15年振りの再会、思い出話に花を咲かせながら居酒屋に。

「それで、どんなマフラーなんだい?」

「材質は?」

「ダイナモは?」

と、矢継ぎ早に一通りの質問。

「アーリーヨシムラ集合を感じさせるマフラーだ。明日乗ってみてくれ」

「街乗り用だよ。ダイナモ?必要か??」

「でもね、私は予想するよクロスビーがヘルメッをとった時、きっと今までマフラーのコメントには使ったことのない言葉を使うことを」

「・・・???。俺はいったい何て言うんだ???」

「さぁ」

そんな会話をしながらこの日は終わった。

2010年 8月 2日 9:30 クロスビーから催促の電話。

「用意は出来ている!!」

待ってましたといわんばかりにZ1に跨がるクロスビー。やはり彼はライダーだ。私はゼファー750に乗って道案内役として並走した。テストコースを一周りしてバイクを降りるはずが彼はそのまま止まらずにもう一回り。

ヘルメットを脱いだ瞬間の満足した笑み。

「Re・Living My Youth !! WAKATTA???」「・・・No」「My Passion Is Re・Born!!!」「・・・No」

わからないのでこう聞いた。「それは今までマフラーのコメントに使ったことのある言葉かい?」

「Never!!!」

やはり。

「ダイナモ測る?」

「No」

「重さ量る?」

「No」

「No! 要らない。パーフェクト」

「当時初めてヨシムラの集合を付けてレースに出た時と同じ感覚が今ここにある」

しばし考えたあとで彼は

「 New Generation Classic 」「ニュー・ジェネレーション・クラシックだ。どうだい」

「青春は蘇った。情熱は生まれ変わった」

たいそう感激してネーミングまで提案してくれた。 思えば当時の感覚をオンタイムで知っているわけであり我々よりも遥かに的を得ているだろうと喜んでシリーズ名にすることにしました。コンセプトのひとつ《新感覚》を直感してもらえたことに嬉しい一日だった。空港まで送っていく道程で「最初のデリバリーは必ず私・クロスビーからにしてくれよ。5本オーダーね!」名付け親クロスビーはシリーズ最初の顧客にもなってくれたのである。

*このテキストは2010年10月頃のものです。

*現行の仕様は42.7mmは肉厚1.2、45.0mmと47.5mmは1.0、50.8mmと54.0mmは1.2mmです。
2014年 4月ロットよりテールパイプは手巻きの1.0mmから、製管1.2mmになります。テーパー部分は1.0mmです。
チタン製は全て1.0mmです。

*当時全文を掲載してくれたファクトリーまめしばさん、GS1000と日々の日記より。
http://mameshiba198.blog129.fc2.com/blog-entry-876.html

(株)モトコルセ NGCページ
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